2005年7月11日。。。
店長は仕事中だったため、ネットで、確かヤフーのトップニュースで、このことを知ったと思う。。。
その後、店頭のお客さんでプロレスファンの何人かから。。。
「店長、知っていますが??橋本が死んだの??」
「プロレスラー橋本真也、脳内出血の為、40歳という若さでのまさかの急逝!!」
これ、今思い出しても。。。
かなりショックでした!!
店長は、アントニオ猪木に魅せられてプロレスを見ていた、いわば。。。
”猪木信者”でもありました!!
その猪木の魂を受け継ぐものとして指名されたのが。。。
「闘魂3銃士」
・武藤敬司
・蝶野正洋
そして。。。
・橋本真也
この3人であった!!
しかし彼らが成長を続け。。。
メインイベンターとして活躍していた頃でもある平成は。。。
店長自身、プロレスから離れていた時期でもあった。。。
「アントニオ猪木引退!!」
この出来事がもう1度、プロレスを見始めたきっかけでもある。。。
それからは、店長自身。。。
毎日、レンタルビデオ店に通ってのプロレスビデオのレンタルといった状況(笑)!!
自分自身が知らない、プロレスの歴史の”平成”という隙間を埋める為に。。。
しかしテレビでは新たな展開が橋本を軸にして始まっていた。。。
そう、一連の小川直也との死闘!!
「橋本真也、負けたら即引退SP」
ゴールデンタイムで放送され、平均視聴率15%、瞬間最高視聴率24%という驚異的な数字をはじき出した!!
結果的に、橋本は小川に勝つことが出来なかったが間違いなく。。。
20世紀最後にして、最高のプロレスを、われわれファンに魅せてくれた!!
その後、彼は新日本プロレスを飛び出すこととなる。。。
自分の夢、そして理想を形にする為に!!
しかし誰よりも。。。
新日本プロレス、アントニオ猪木を愛する男でもあった。。。
”総合格闘技”
今はこう言われているが、昔は”異種格闘技戦”と言われていた。。。
「いったい、誰が1番、強いんだ!!」
このファンの素朴な疑問に答えるために、プロレスのリングに。。。
プロボクサーのモハメド・アリや当時、オリンピック柔道での金メダルリストでもあるウイリエム・ルスカを始めとした、格闘技の猛者たち相手に死闘を演じたのが若かりし頃のアントニオ猪木でもある!!
この頃の猪木に魅せられた橋本は。。。
プロレスの、新日本プロレスの門を叩くことになる。。。
そしていつしか、彼が着て、入場してくるガウンの背中には。。。
「闘魂伝承」
この言葉が刻まれることとなる!!
猪木への。。。
そして強さへの。。。
憧れが、彼にこの言葉を背負わせたのであろう。。。
新日本プロレスの強さの象徴でもある。。。
”IWGPヘビー級のチャンピオンベルト”
猪木、ホーガン、藤波、長州。。。
数々の名レスラーが巻いたベルトでもあるが、彼のことを知る上で、このベルトを巡るエピソードが挙げられる。。。
試合終了後、通常、ベルトの管理は会社、新日本プロレスが行うことになるのですが。。。
彼がチャンピオン時代、このベルトは会社になかったそうです!!
そう、彼自身が自宅に持って帰っていたそうです(笑)!!
常にこのベルトを携えて、行動していたとか(笑)??
彼が試合に負けて、ベルトを失った時。。。
久しぶりに会社にベルトが帰ってきたのですが、そのベルトを見て、社員一同。。。。
びっくりしたそうです!!
だって。。。
ベルトが。。。
”ピカピカ”
になって、帰ってきたそうです!!
数々の血、汗がしみ込んで、くすんでいるはずのベルトが。。。
”ピカピカ”になって帰ってきたんですから(笑)!!
少年のように目をキラキラと輝かせ。。。
心をときめかせ。。。
ベルトを磨いていたんでしょうか(笑)??
きっと!!
決して器用ではなく、不器用なファイトスタイル!!
自分に正直で、戦いに楽しさ、悲しみ、怒り。。。
これらを表現できる唯一のプロレスラーだったように感じます。。。
だからこそ。。。
多くのファンを引き付け、感情移入させることが出来たんでしょう。。。
豪快さ、それでいて少年のような無邪気さも兼ね備えた男!!
「愛すべき。。。破壊王!!」
赤コ〜ナ〜!!
183センチ!!
135キロ!!
破壊なくして創造なし!!
破壊王!!
はっしもと〜しんやぁあああああ!!!!!!!!!!!!!!!
ヽ(´□`。)ノハッシモト!!
ヽ(´□`。)ノハッシモト!!
ヽ(´□`。)ノハッシモト!!
ヽ(´□`。)ノハッシモト!!
ヽ(´□`。)ノハッシモト!!。。。。。
「橋本。。。なんか涙で。。。前が見えないよ。。。」
遅くなっちゃいました。。。レス!!
ごめんなさい!!
来ていただき、嬉しく思います!!
ブログの充実度を求めて、日々模索の毎日ですが。。。
また、遊びに来てくださいね!!